「おいしい」だけがわからない
ニートになってから「おいしい」がわからなくなってしまいました。
どういうことかというと、食べ物を食べてもおいしいと思えなくなってしまったのです。
食べ物の好き嫌いは今までどおりあります。
カレーやラーメンは好きですが、ピーマンやナスは嫌いです。
カレーを食べればカレーの味がしますし、ラーメンを食べればラーメンの味がします。
味の良し悪しも分かります。
「これはいい味だ」と思うことはあります。
「この味つけは微妙だ」と思うこともあります。
ピーマンやナスを食べると「まずい」と思います。
ですが、「おいしい」だけがないのです。
「おいしい」の反対の「まずい」はわかるのに変な話ですね。
本来ならおいしいはずの食べ物を食べても「おいしい」とまではいかずに「味がいい」と思うだけで終わってしまうのです。
今までは味がよければ自然と「おいしい」につながりました。
というか、両者を切り離すほうがおかしな考え方だったでしょう。
ですが、ニートになって初めて両者の間には違いがあることがわかりました。
「おいしい」の仕組み
おいしさを感じるためには食べ物の味がよいことにプラスして体がそれを渇望していることが必要なのだと思いました。
真夏に屋外で活動して汗をかいた後の水が最高においしいように、体が本当に必要としているものを取り込んだときにおいしさを感じるのでしょう。
ニートになってからは半日ほどベッドの中で過ごし、起きているあいだはスマホやPCに向かってほとんど動かない生活を送っていたので、エネルギーはそれほど消費しません。
ハードな活動をするわけでなければそれほど食べ物を取り込む必要はないわけです。
であれば、体は僕に食べ物を食べさせるために食欲を出させる必要はないですし、報酬としてのおいしさを感じさせる必要もないわけです。
専門的な知識がないのでこの考え方は間違っているかもしれませんが、僕はそんな風に理解しています。
「お腹が減る」と「食欲」の違い
言い忘れていましたが、「お腹が減る」と「食欲」が違うこともニートになってわかりました。
ほとんど活動していなくても体はエネルギーを消費してお腹が減ります。
生きていくためには必要最低限の食事をする必要があります。
僕はお腹が減ったら食事を取ります。
ですが、別に食べ物を食べたいわけではありません。
お腹が減るから食べるだけで、食べたいから食べるわけではないのです。
むしろ食事は面倒だし大変なので食べたくありません。
昔から食にあまり興味はありませんでしたし、人の数倍は噛まないと食べ物を飲み込めない体質なのですごく疲れます。
元気に活動していた頃はそれを上回る食欲があったわけですが、今となっては食欲がなくなり、それらのデメリットのみが残ってしまったので食事が苦痛に感じるほどです。
食欲や「おいしい」という感覚を復活させ、食事を楽しめるようになるには元気に活動することが必要なのでしょう。