精神障害の投薬治療の先に待っているもの

僕はメンタルを患って精神科で投薬治療を受けています。最近は自分に合う薬が見つかってきたので、比較的調子がいいことが多く、ブログを更新する頻度も高くなってきました。

メンタルの調子がいいと考えることがあります。それは将来のことです。正確にはメンタルの調子が悪いときにも将来のことを考えることがあるのですが、考える方向性が異なります。

メンタルの調子が悪いときには「お金がない」とか「大学を中退して引きこもって3年、精神障害を抱えて精神科に通院中の自分を必要としてくれるところなんてどこにもない」とか、「自分にはなんの能力もない」とか、「同級生は皆立派に働いていて、自分との差が大きく開いてしまった」とか、そういううしろ向きなことばかり考えています。自己肯定感も自己効力感も喪失してしまっているので、人生に絶望し、己の無力さに打ちひしがれているのです。

しかし、メンタルの調子がいいときには自己肯定感と自己効力感がアップするので、将来について前向きで建設的な思考をすることができます。薬のおかげか、それとも病気の気分の波のせいかはわかりませんが、経験も知識も変わらないのに自己肯定感と自己効力感が変化するのはいささか不思議なことではあります。というか、気分の波によってそれらが大きく変化してしまうのは猛烈に困ります。人生について一貫した思考も行動もすることができなくなってしまうのですから。

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目的本位に行動するのは難しい

以前、主治医から「目的本位」という態度(気分に左右されず、目的を達成することを主眼に置く態度)を教えてもらいましたが、目的本位に行動する余裕なんてまったくありません。そもそもそれができていたら人生もっと順調に歩んでいたでしょうし、精神科のお世話になることもなかったでしょうから。

くわえて、個人的には目的本位という考え方には1つ落とし穴があると思っています。それは、目的本位で目指す目的には価値がなくてはならないということです。人間なんの価値も感じないことを頑張ることなんてできませんからね。人間はロボットではありません。精神科に通院して薬を飲んで気分を調整していると人間の体が機械的であることを実感しますが、それでも主観的には感情があり、それが自我にとってはとても重要な意味を持ちますから。自我だって物質である脳が作り出したものかもしれません。現代科学ではまだそこまではわかりませんが。しかし、いずれにせよ価値のないことは形而上的な自我にとっても物質的な脳にとってもやりたくないことなのは確かです。

目的には価値が必要だという話に戻りますと、うつ状態では興味や価値の喪失などが起こりますし、僕は以前から離人感があり、現実世界にリアリティを感じない、自分がこの先生きていくビジョンが見えない、外界(家の外)が別世界のように感じられる、社会的活動が虚しく感じられる、などの症状を抱えているので、目的本位で目的とすべきものに価値を感じられない、そもそも目的を見つけられないという状態になってしまうのです。うつ状態で「死にたい」、「生きたくない」と思っているのに、人生でどういうことがしたいか、どうなりたいかなんて考えられないんですよね。

仕事という大きな壁

話の本筋はメンタルの調子がいいときに考える建設的な将来のことでしたが、だいぶ脱線してしまいました。ようやくここから本当に書きたかったことを書いていきます。

メンタルの調子がいいときには自己肯定感と自己効力感、人生への希望が出てくるので、社会復帰のことなどを考えたりします。今はヒキニートをしているため収入がほとんどなく、やりたいことができず、買いたいものも買えない生活をしています。本当に調子が悪いときはやりたいことも買いたいものもなくなるんですけどね。調子がよくなると物事に価値が出てくるんです。価値を感じると言ったほうが正しい表現になると思うのですが、感覚的にはそれまでなかったものが突如出現する感じなので、価値が出てくると表現しています。ASDの人は文章が回りくどかったり脱線したりするらしい(ちゃんとしたソースではない)ですが、僕(ASDグレーゾーン診断済)もその傾向がありますね。細かいことにこだわりたくなるんですよね。

調子がよくなると物事に価値が出てきてあれをやりたいこれをやりたいとなるわけで、そのためにはお金が必要。お金を稼ぐためには働かねばならない。働くことに対する抵抗感は調子の悪いときに比べたらだいぶマシになる。最悪のときは働くくらいなら死んだほうがマシだと思うくらいのレベルでした。死へのハードルが下がっているというのもありましたけど。

で、社会に出て働くことを考えるときに困ることは僕が一度も働いたことがないということです。大学を中退していますからね。バイトはしていましたが、社員として働くのとはおそらくだいぶ異なるのではないかと。業務内容も責任の重さも。働いたことがないので働くということがどういうことかイメージできない。どういう職業に就くべきかもわからない。就活ではだいぶ迷走して全滅しました。ASD傾向のせいもあって自己認識が多分できていないし、演技をすることもできない社交不安障害っぽいので面接も極端に苦手。どうしようもなかったですね。面接練習やOB訪問、インターンなどからは完全に逃げていましたね。それをやるくらいならぶっつけ本番で面接に臨んだほうがマシ。志望動機はハッキリしていないし企業分析も自己分析もできていない、文系なので大学で学んだことが業務に直結しない、特に資格も経験もない、と今思えばよくそんな状態で就活してたなと思うくらいにひどい有様でした。それは今も変わらず。むしろ経歴や健康の面ではだいぶ悪くなっています。やりたいこともできることもわからず、まともに働く能力もまともに生活する能力もなく、まだ見ぬ人間関係や面接におびえて引きこもり続けています。

再び現実に向き合うとき

薬物治療が奏功してメンタルの調子がよくなると病気と格闘するフェーズから現実と格闘するフェーズに移行します。僕がかつてドロップアウトしたフィールドです。僕はそこでうまく生きることができなくなって病気に陥ったのです。再び現実に向かい合わねばならなくなります。これは多くの精神障害者が抱える問題だと思います。精神障害者は元々精神障害になりやすい性質を持っているものです。

薬では僕が持っている生きづらい性質は治りません。病気のフェーズでは病院が手助けをしてくれます。しかし、その先のフェーズでは病院は僕の助けにはなりません。薬で不安や緊張を抑えるくらいのことはできるでしょうが、人間とうまくつきあうための努力を肩代わりはしてくれません。僕は自分自身に向き合って生きづらい性質とうまくつきあっていかねばなりません。それはおそらくかなり苦しい戦いでしょう。僕は双極性障害の可能性が高いらしいですが、双極性障害は再発率の高い病気です。薬のおかげで寛解していても、社会生活でストレスが溜まれば再発の危険性が高まります。

自分自身と戦わねばならないのは何も仕事においてのみではなく、プライベートにおいてもまたしかりです。僕は元々人と接するのが苦手な人間ではあるものの、人と関わりたい気持ちがないわけではないのです。むしろ人と関わりたい、人と仲良くなりたいという気持ちが強いのです。ですから、社交性の高いリア充には憧れもするし嫉妬もするものです。しかし、やはり人と関わるのは大変で、苦痛を感じることも多いです。人は苦手だが孤独もまたつらい。幸福に関する研究によると、よい人間関係を持つことは幸福度を高めるらしいので、そんな人間関係を持つことができればと思うのですが、実践はなかなか難しい。

心身の健康のためには運動が重要というのは常識ですね。人生の充実のためにはそれに加えて様々な経験を積むことも必要だと思います。僕は昔からインドア派で休日は家にいることが多かったです。多少面倒でも外に出て運動したり、どこかに出かけたりする必要があると今では強く感じています。今までどおり家にこもって誰とも関わらず、刺激を受けることのない生活を送っていては人生の充実はありえないと思っています。僕はアニメやゲーム、ネットなどをすることで1日を家で過ごすことができ、しかもそれらにうんざりするほどに飽きることもなかなかないというヒキニート向けの素質を持ち合わせており、それは闘病生活において幸いだったとは思うのですが、もし病状がよくなり自分の人生に向き合うときが訪れたのならば、インドアな生活を抑制し、アウトドア派な自分に生まれ変わらなければと思っています。

仕事にせよプライベートにせよ乗り越えなければならない壁は高く、たくさんあります。誰も自分の人生を肩代わりしてくれません。僕の味方をしてくれる人、僕の援助をしてくれる人もそうそういません。自分の人生は自分で生きていかねばなりません。どれほど生きづらい性質を持っていようと、どれほど人間の不公平を嘆こうとも、どれほど社会の理不尽を恨もうとも、生きるからにはこの世のすべてに立ち向かわねばならないのです。

今後のこと

今の僕は「『死にたい』の嵐」から抜け出しかけているところなので、この先生きていくことについても思いを巡らせることがありますが、まだ「生きていくぞ」と強い決心をすることはできていません。生きるのは死ぬのと同じくらい、あるいはそれよりももっとつらいことなのです。死ぬことができないのならば生きていかねばなりませんが、積極的に生きていくことはつらいし不安なので消極的に生きている今現在であります。いつか親の庇護下というコンフォートゾーン(全然コンフォートでもないのだが)を抜け出すことができるのか。将来の僕が何をしているのは微塵も想像できません。とりあえず今は自分ができることをしていきます。

今の僕にできることは通院して薬を飲むこととブログを書くことです。もしかしたらそのうち散歩もできるようになるかもしれません。ブログからは雀の涙ほどの収益があがっています。それで月々の携帯電話の料金を支払うことができるようになればいいなと思っています。iPhoneのアプリを購入することが多いので、その分も稼ぎたいところです。ゲームアプリについては近々レビューを開始するつもりです。将来のことはわかりませんが、今は目の前のことをやっていきます。

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